移住5年を振り返って ―パートナーのわたし編―

2021年1月20日お知らせと雑記

サイト主が5年を振り返っているので、そのパートナーのわたしも5年を振り返ります。

移住の少し前のお話もしようかと思ったので、長めに振り返らせてもらいます。(長文です)

「当たり前」がなくなった日

初めに思い出すのは2011年3月11日。東日本大震災の日。

私は東京の賃貸アパートで震度5強の地震にあいました。

大きな揺れのあとに突如として、”ゴゴゴゴゴ”と凄まじい轟音を起こし風が吹き荒れました。

後にも先にも聞いたことのないようなその轟が、この世の一切を変えていく足音のようで今でも忘れられません。

放射能と非災害地域

そして連日に渡って悲惨な報道が続き、今度は放射能を恐れる日々が始まりました。

水道水にセシウムが混じっていた時期は外に出るのもはばかられ、落ち着くまでは親戚から水を送ってもらいました。

放射能情報も交錯し、身体のことも考え仕事を辞めて出雲の実家に一時は避難もしました。

その頃、実家のある島根県では「なんだか東日本は大変そうだねえ」と大震災のことはどこか遠くの出来事という雰囲気でした。

災害は遭った当人にしか実感するのは難しい事なのだとこの時に感じました。とはいえ決して身に覚えのないことではありませんでした。

関西へ引っ越し

住宅街の一軒家の借家に引っ越しました
住宅街の一軒家の借家に引っ越しました

そしてその後、サイト主の所属する会社で関西に拠点を立ち上げる話が持ち上がりました。

モヤモヤした目に見えない緊迫感が続く関東での日々だったので、ありがたくそれに乗じる形で関西への引っ越しを決めました。

もともと田舎育ちの私は、関西ののんびりした雰囲気とご飯の美味しさに、幸せを感じる日常を取り戻すことができたのでした。

自然に近づくきっかけ

それから年を追うごとに増える、自然災害や人災の多さとその規模の大きさに、今までとはまた違う危機感を感じることが増えてきました。

災害に遭い、避難や安否の連絡を取るという緊急事態をすぐ身近にあちこちで聞くようになりました。

「明日は我が身」という言葉を頻繁に聞くようになったのはこの頃からだったと思います。

それから一層、防災が叫ばれるようになりました。

テクノロジーの帰る場所

そんなとき学生の頃にバイオテクノロジーの授業で一番初めに見させられたビデオの中のお話を思い出しました。

“テクノロジーはどんどん進化していくだろう。だが進化した先で上手くいかなくなることもある。そんな時「ローテクノロジー」という、原点として戻る場所がなければ、どんなものも立ち行かなくなってしまう。戻る場所としてのローテクノロジーはどんな場合においても維持していかなくてはならない。”

世の中は便利で、それを使う私もとても快適に生きています。でももし何かの拍子にそれを全て失うことも、遠い場所の話ではないと感じました。

自分で生きていく方法を少しでも知っているのは大げさでなく、必要なことかもしれなことなのかも?と思いました。

自力を知りたくて買った一冊の本「山で暮らす愉しみと基本の技術」

この頃、自分の安心のために一冊の本を買いました。

「山で暮らす愉しみと基本の技術」
「山で暮らす愉しみと基本の技術」

この時は、ただ自給自足の知識を得るために買ったのですが、まさか自分がのちのち本当に里山で暮らすとは思ってはいませんでした。今でも大切に取ってあります。

この本を読んで、昔からの知恵や自然の事を知るのが楽しくなり、本で調べた体に良い身近な植物を無理のない範囲で生活に利用したりすることが趣味になりました。

子育てのために島根への移住を決意

関西に住んでしばらくして、初めての子供が生まれました👶。

島根から母に来てもらって育児を手伝ってもったり、育児休暇をサイト主にとってもらったりしてなんとかやっていました。

ですがそれも始めのうちだけで、見知らぬ土地で自分も体が弱く通院しながらの子育てでした。

サイト主は「実家のある島根に引っ越そう」と子育てを考え言ってくれていたのですが、島根でITの仕事を探すのも難しいだろうし、大変なのは子供のうちだけだからと言って頑張っていました。

島根に移住することを決意するきっかけ

そんな中、私の体調が悪化し手術のため入院を余儀なくされました。

そのため、まだ1歳の子供をひとり島根の実家に預けることになってしまいました。

そののち身体が回復してからも、周りの支えの少ない今のままでの子育ては子供にとっても良くないとようやくく気づき、島根に移住することを決意しました。

七夕のお願い

とは言っても島根に仕事あるの?と思いながら、色々生活が変わるのを全て受け止める覚悟でサイト主の職探しを一喜一憂しながら見守っていました。

はたから見ると職探しはだいぶ難航していたようでした。

当時は七夕の時期🎋。

「島根で仕事が見つかり引っ越せますように」「島根で家族皆で暮らせますように」と書いた短冊を笹に吊るしてお願いをしていました。

そんな願いが届いたのか、まさに7月7日七夕🎋。

「採用します」と今の会社から嬉しい知らせが我が家に届きました。

そして島根県の松江市🏯に引っ越すことになり、これで育児も楽になると肩の荷が少し下りた気持ちでした。

故郷の島根で予想外の洗礼

日本庭園の美しい古民家
松江城近くの日本庭園の美しい古民家

引っ越した先は古風な古民家🏠。

子供が居たので多少うるさくても気兼ねしないように一軒家を選びました。

中は松江城のお膝元らしい立派な作りで「こんなところに住めるなんて嬉しいな」と思っていました。

古民家と保育園の地獄の洗礼

ところが住んでしばらくして、かばんや靴がカビだらけになり捨てることが増え、この家の風通しが悪さが発覚しました。

そして土地柄、冬はすこぶる寒く体調を壊すことが増えていきました。

そのうえ子供が保育園に通い始めたのも相まって、我が家に恐ろしい病の洗礼が待っていました。

  1. ある時からみんなで咳が止まらなくなり発熱。
  2. 子供も体調悪化で入院。子供の24時間付添必須のため親も咳と発熱しながらつきそい。
  3. それが治ったと思えば私が溶連菌で発熱入院。
  4. またそれが治ったかと思いきやサイト主が気管支喘息を発症。
  5. そして子供がまた発熱
  6. その後、水分が採れず子供入院etc…

という地獄のような状況でした。

引っ越しを決意

これが保育園で流行っている病気とは全く違った病を、うちだけが発症していることに気付いた時、

うすうす感じていた「この家やばいんじゃない?」という疑問が確信に変わりました。

このままだと家に殺されかけないと身を案じて、それから即ライフプランを練り直して新しい家を探すことにしました。

その頃には島根に定住を考えていたので、家を建てるつもりで土地を探しはじめました。

島根県での土地探しのこと

今までは賃貸で物件ありきの住まい探しだったので、何もかもわかりません。

まず実際にドライブしながらどんなところなら住みたいのか色々見て回りました。

住めるなら(その時住んでいた家以外なら)どこでもいいかな~なんて始めは考えていました。

いざ空き土地がありそうな場所を巡ってみると自分が実際にその場所に住むイメージがわかず、どこもピンとこない事がわかりました。

土地があるのは計画的につくられた住宅団地がほとんど。

自然好きな私が住みたいと思ってしまうのは隣の家と離れた里山の方ばかり。

そんなところに空き土地はありません。

空き土地がなくても住みたい場所

でも諦めきれずに、空き土地はこの際無視。

どこの里山なら住みたいの?と突き詰めて理想の里山を考えつづけました。

結果、出雲地方の北山山系が候補に上がりました。

北山は南の中国山脈よりも不思議と時間がゆったりと流れていて、刻一刻と表情を変える宍道湖の風景やその湖沿いに走る電車と穏やかな家並みも、仙人の住んでいる桃源郷のような美しさで、この場所なら一生を過ごしても苦ではないなと感じました。

より自然豊かな南の中国山脈にしなかった理由は、父親が奥出雲の出身なので小さい頃はよく遊びに行って自然の豊かさと怖さを知っていたからだと思います。

自然が豊かなのは素晴らしいけれど、豊かすぎて自分の手に負えなさそうだし、あと日常的に熊に警戒するのは怖い。買い物に時間がかかることや体の弱い私には病院から離れすぎるのはリスクがありました。

そうして自分の土地の理想はわかったのですが、理想は理想。探せど探せど土地は見つかりません。

理想と現実のギャップ

そして土地も大事だけれど、家の建物はどうする?ということになりました。

家の性能の大事さを身を持って知った我が家。性能の面ではどうしても譲れませんでした。

「暖かい、換気のいい家に住みたい!おまけに欲を言うなら素敵なデザインの家に住みたい」という思いのもと、あらゆる住宅会社に行きました。

住宅を見学するたびに自分の予算と住みたい家とのギャップに撃沈。

一見普通と思う家でも、驚くほどのお金がいる。そんな当たり前の事にいざ直面すると落ち込んでしまうのでした。

でもそれ以前に、これから自分がずっと住んでいく家を買うということ、付いてくる「間取りのカタログ」や「オプション」などの言葉に腑に落ちない部分がありました。

普段の買い物のように決められた中から選び「買う」のでなく、なんとか作り上げたそれに対して「払う」という建て方がしたいような拘りが自分の中にあることに気づきました。

中古の住宅をリフォームする選択肢で工夫すれば素敵な家に安く住めるかも!とも考えました。でもそうなれば最新の断熱性や換気システムはきっと諦めなければなりませんでした。

性能が良く注文住宅みたいに個性的で素敵な家に安く住めたら良いのに…でも理想ばかり言ってないで現実と折り合いをつけなければ…。と諦めかけました。

捨てる神あれば拾う神あり!ダメ元の先にあった光明

ですが、何度目かも知れない住宅見学から帰る車の中で突然に思い立ちました。

いや!捨てる神あれば拾う神あり(出雲大社近いし!)世の中捨てたもんじゃない!できるんじゃない?実は。

と、謎のポジティブを発揮しダメ元で色々調べて見ました。

すると住宅会社さんよりは地場の工務店さんのほうが基本的に注文住宅になるため色々と要望にも応えらて融通が利くそうです。広告宣伝費用もないため価格も安く、設備機器も自由に変更できるとの情報を得ました。

重視している断熱性など性能のことは未知でしたが、大手住宅メーカーばかり巡っていた私達には今までになかった新しい視点でした。

地元の工務店さんとの出会い

そしてそんな時期に土地を探していた北山側でサイト主が面白い工務店さんを見つけてくれました。

その工務店さんは確かな昔ながらの建築技術と高断熱の最新建築技術をかけ合わせた勉強熱心な工務店さんでした。

あんまりお金が出せません…。とおそるおそる言うと、予算には合わせます。普通の新築の家を買うくらいのお金なら十分です。いくらでも工夫はできます。とものすごくワクワクする返答をいただけました。

また地元の工務店さんなだけあって、地元の情報知識の凄いこと凄いこと…物件情報だけでなく土地の成り立ち・気候・町内会事情に至るまで教えてくれて、とても頼りがいがありました。

何より高断熱の家に住めそうな希望が出てきました!

そしてこの工務店さんにいくつか土地探しをお願いしました。

理想を盛り込みすぎ!冗談のような土地条件

私達の考えた条件はこんなこと。

  • 近隣から50メートル以上離れていること
  • 大きな道路から離れていること
  • 自由にできる庭があること
  • 小学校から近いこと
  • 静かなこと

等、更にわたし自身の中ではこんな条件も。

  • 物語に出てくるような雰囲気のある場所がいい
  • シンボルツリーのような落葉樹がほしい
  • 買って出来上がりではなく一緒に育っていけるような土地が良い
  • 果樹があれば(植えられれば)なお良い
  • 近くに水辺はほしい

いくら田舎とはいえ、売り土地も少ない上でのこんな理想ばかりを追う無茶苦茶な土地探しは難航して当然でした😅

思えば、妥協しらずだったと思います。後から工務店さんがポツリと「始めは冗談か都会の人の気の迷いかと思っていた」と言われました😂😂😂

辛い入院中の嬉しい知らせと不思議な土地の画像

そしてそんな中でも松江の寒い家での暮らしは継続中。

私が入院をして病室のベットでうなだれていた時に、サイト主から「工務店さんのつてで山の中の家付きの土地を手放そうとしてる人がいるらしいよ。見るだけ見ませんかって言われてる」と連絡がありました。

早速サイト主に土地を見てもらった、その時の実際のスマホの画像です。

最初に土地見学をしたときの実際のスマホの画面
最初に土地見学をしたときの実際のスマホの画面

恐ろしく藪の中で何が何だかわかりません。イノシシと鹿が出るとの情報も。

最初に土地見学をしたときの実際のスマホの画面
最初に土地見学をしたときの実際のスマホの画面

サイト主の「すごいよ。これは実際に来ないとわからないよ…」という言葉に、どっちの意味の凄いかはっきりしないけど、確かに凄そうなのはわかる…。

それからは退院を楽しみに待ちました。

藪の中に突然現れる家

そして目出度く退院してワクワクしながら車に乗って土地に行ってみると・・・

山しかない
山しかない

です。

ここ山しかないですけど・・・。といった感じです。

でもこのとき何故か私はある感想が芽生えていました。

素敵・・トトロみたい・・・🌱

草を払ってとりあえず通れるようになった道
草を払ってとりあえず通れるようになった道

そして前もって草払い機で刈って作られた獣道を通り、本当に家があるのか不思議に思いながら退院直後なのも忘れて早足で土地へ向かいました。

木々に埋もれた家
木々に埋もれた家

そして突然藪の中に家は現れました。まるで昔ばなしの迷い家のようです。

ひっそりと山の中にたたずむ古民家
ひっそりと山の中にたたずむ古民家

森の木々に囲まれてひっそりと建っていました。本当に物語みたいでした。

庭には果樹や落葉樹・紅葉・どんぐりなどの木々が茂っていました。

山に囲まれた家でした。
山に囲まれた家でした。

家の裏も周りも山。

まわりに家はありませんでした
まわりに家はありませんでした

Google Earthで見てみるとこんな感じ。ちなみに近くに池もあります。トトロみたい・・・

「こんなところに住みたかったんです!」夢がかなった理想のボロ家

未開の地では?とおもったのですが20年前までは人が住んでいて電気も水道も通っているというのです。

ですが土地は良いとして、建物。日の当たる側は現役で使っていけるような、変な話眠っているだけのような元気の良さを感じましたが、問題は裏側。山に面しているので湿気がたまり、柱の腐敗が進んでいました。

これは取り壊しかなと思っていると、工務店さんが事も無げに「柱入れ替えれば大丈夫だよ」というのです。それどころかその先のフルリノベーションを前提とした家揚げや重機の搬入まで考えてくれていました。

荒れ放題の物件や土地を見ながら、なんというか「こんなところに住みたかったんです!」といって工務店さんに驚かれてしまった私。

あとから聞くと「こんなボロ家」と工務店さんはダメ元のつもりだったそうです。

条件を振り返ってみます。

  • 近隣から50メートル以上離れていること →(数百メートル以上離れていました)
  • 大きな道路から離れていること →(大きな道路からはだいぶ離れています)
  • 自由にできる庭があること →(土地は十分すぎるくらいでした)
  • 小学校から近いこと →(なんとか通学できる距離でした)
  • 静かなこと →(もちろん静か虫や鳥のさえずりがおまけに付いています)

わたしの理想も振り返ると。

  • 物語に出てくるような雰囲気のある場所がいい →(物語性は十分でした。こんなある意味ふざけた条件に当てはまってくるなんて夢みたいです)
  • シンボルツリーのような落葉樹がほしい →(落葉樹だらけです)
  • 買って出来上がりではなく一緒に育っていけるような土地が良い →(たくさんのことが出来そうです)
  • 果樹があれば(植えられれば)なお良い →(人が住んでいたので枇杷・柿・栗など果樹の宝庫でした)
  • 近くに水辺はほしい →(農業用ため池やちょっとした用水路などがありました)

完璧にオールクリアどころか、だいぶ理想を超えてきた感じです。

ついに理想の土地が見つかったのでした。

その日に、この土地に決めたいと工務店さんにお願いし、この場所に住むことに決めました。

ここから後のことは別記事に書いておりますが、本当に色々ありました。

森の中のポツンと一軒家

この時すでに「ポツンとした古民家」というイメージが
この時すでに「ポツンとした古民家」というイメージが

物件発見当初のサイト主とのLINEでの会話。

「森の中のポツンとした古民家」などと言っていますが、この頃には例の番組はまだスタートしていません。

まさに森の中の「ポツンと一軒家」でした。

現在の生活

私は自然の多いところに住めたらとはなんとなく思っていましたし、山を持てたら楽しいだろうねとふざけて言う時もありました。

でもまさかこんなにしっかりと里山に住むことになると思いませんでした。

せっかく里山に引っ越したからと言って、体が弱いので急に何かを始めれるわけでもないし出来ません。

なので自然の力をたまに借りながら、里山という場所でゆるーくごく普通の生活をしています。

ブログでは色々やっているように見えがちですが、基本は何もしない日が多いです。それでも、なんとなく快適にやって行けているのだから不思議な気持ちです。

日々巡る自然に癒やされながら、のんびりした里山で過ごしているおかげか、最近は体調も安定しています😄

里山で現実的に”楽”して生きる。

土地が決まった当時、山育ちの両親が私達に「草刈り大変だぞ…」とポツリ。

確かに草刈りは里山の暮らしとは切り離せないもの。こればっかりは夢みたいな寝言ばっかり言っていられません。

なので少しは現実的な寝言😅を言うために引越し後「楽 草刈り」をキーワードに色々調べました。

そこで高刈りを知り、今は草刈りをとりあえずは楽しみ植生が変わっていくのを興味深く観察している日々です。

また将来、日陰で防草できたら良いな−と空き地にほったらかしの果樹園を作ったり、エクササイズ代わりに家の横に適当な家庭菜園を作ってイノシシ被害にあったりと、

私なりに行き当たりばったりな楽しい自由を生きています。

おわりに

今年は大きな災害【新型コロナウイルス禍】が発生しました。

今度は遠く離れたどこかの土地ではなく世界中で。世界の全ての人に身近な、ある意味で平等な災禍です。

このコロナが将来収束した後に、私や現代のテクノロジーや、日常の“戻る場所“がどうなっていくのか誰にもわかりません。

けれど、繰り返すトラブルと移住の後に自分の理想の家を手に入れたように、今は自分や子どもが生きる未来を信じたいと思います。